吟遊詩人は、しばし天から降り注ぐ柔らかな光に目を細めてから、汚れた頭巾を目深に被り直した。彼の空よりも淡い青色の瞳は、目元にかかった白金色の髪 を透かして入ってくる光を長時間見ることは敵わない。

 行き交う人々は、吟遊詩人を気に留めもしない。
 吟遊詩人は首をかしげた。大陸の人々は、彼を見つけた途端に近寄ってきて、話をせがんだものだ。天使の舞う島と歌われたこの島には、吟遊詩人が訪れたこ とはないのだろうか。

 吟遊詩人は、噴水に腰掛けている浮浪者を見つけた。天から降り注ぐ柔らかな光に包まれているせいか、不潔さを感じさせなかった。まとったぼろの下からの ぞいているはずの顔は、灰色の陰になっている。
 吟遊詩人は、近くで卵を売っている黒髪の少女に声をかけた。
 少女が振り向いた。飴色の瞳は、一瞬前に訪れた驚きをまだ湛えていた。

 少女は言った。
「あなたは一体だあれ?足音がしているのに、上の人みたいね」

 吟遊詩人は言った。
「私は旅の吟遊詩人。この島の近くを通る船に乗り、やってきた。・・・上の人とは?」

 少女は笑った。ややあってから、言葉を選ぶようにゆっくりと言った。
「天上者のことよ。見れば分かるわ。天使みたいで、でも羽がないの。体が光でできているから、光が隠れたら骨だけになっちゃう。
 本当は天に住んでるけれど、時々こうやって落ちてくるの」

 少女は続けた。
「雨が降れば消えちゃうのもいるわ。でも、そこの噴水にいるのは違うみたい。
 ・・・それにしても、あなたのような人間は初めて見たわ。人間の格好をした上の人みたいね」

 吟遊詩人は言った。
「有難う、お嬢さん。おかげで謎が解けた。だが、私のような目と髪の色をした人間なんて、大陸には沢山いるのだが?」

 少女はまた、驚いたような表情を見せた。ややあってから言った。
「大陸人なんて見たことないわ。この島の人は、しょっちゅう大陸に行くけど、向こうの人はこっちにこないものね。だから知らなかったの。
 それより・・・一曲歌って。吟遊詩人に会うのは初めてなの。歌を歌ってくれるんでしょう?お客がいなくて暇なの」

 吟遊詩人は快く了承した。
「・・・では、大陸に古くから伝わる歌の一つを。天使の舞う島を歌った歌だ」

 少女がくるくると回り、行き交う人々を呼び寄せた。彼女は楽しげに言った。
「ねえ、吟遊詩人よ!歌を歌ってくれるんだって!」

 吟遊詩人は竪琴を取り出し、噴水に腰掛けた。しばらくの間調律していなかった弦を正し、いくつかの音を鳴らした。
 集まってきた聴衆の間から、溜息が漏れた。
 吟遊詩人は、柔らかでいて伸びのある、美しい声で歌った。
「はるか遠くの昔
 神がこの世界を創るよりもはるか遠くの昔、また別の世界での話
 全てが美しく、磨かれた玉の如き世界
 全ての悪は除かれていた
 だがある日、神はそれを滅ぼした
 人々は死に絶え、神は一人の使徒を遣わした
 彼の瞳は空、真青な空の色
 彼の瞳は光、白金の如き光の色
 そして背中にあるのは六枚の羽
 降り立った世界は砕ける玉の如し
 ただ一人の女が残っていた
 未だ己の死を知らぬまま彷徨し
 その体に、その骨の上に光を纏い
 かつての海だった場所で使徒と出会った
 使徒は女を哀れみ、福音を与えた
 『この世界はもう滅びた
 誰も残ってはいまい』
 やがて浄化の慈雨が降り注ぎ
 女が浄化される、まさにその瞬間
 使徒は薄れ逝く女の額に接吻し、祝福を与えた
 女の魂は天へと飛び立ち、新たな肉体を与えられた
 神は女を新たな世界へ下ろした
 新たな世界、一人の男がいるだけの島へ下ろした
 二人は天から降り注ぐ柔らかな光の中で結ばれ
 生まれた子孫は島中に広がった
 福音と祝福を与えられし女はやがて老い、死んだ
 だが、使徒の祝福は島に留まり続け
 今でも天使を呼び寄せるという
 ああ、天使の舞う島
 ああ、天使の舞う島よ」

 聴衆は、歌の余韻が消えた途端に手を打ち鳴らした。
 天上者はぼろを頭から跳ね除け、白金の髪を顕わにして、吟遊詩人を空色の目で見ていた。彼は歌の終わりを繰り返して言った。
「ああ、天使の舞う島。ああ、天使の舞う島よ」

 吟遊詩人は竪琴をしまい、立ち上がってお辞儀をしてから言った。
「まさにこの島の歌ではないか」
 彼はそのまま歩き去った。ややあってから、その後を卵売りの少女が追いかけた。


..2006.10.19. 輝扇碧
天使の舞う島