Jesus, who continued sending several cards


 その男は机に向かって座っていた。机の上には何も書かれていない何枚かの便箋と、封筒に入ったカードの束、そしてキャップに歯型のついた安物のボールペ ンがあった。
 男は縁が黄ばんだ封筒を、束の一番下から抜き取ると中身を取り出した。封筒は裏返して便箋の脇に置いた。封筒の裏には差出人の住所はなく、ただこう書か れているだけだった。
『ジーザス 29度目 生誕の日』
 差出人が誰なのかを男は知っていた。それだけでなく、彼はジーザスと言う名前が偽名ではないことも、そしてジーザスが自分のかつての友だということも 知っていた。
 男は封筒をそのままにしてカードを開いた。どこにでも売っている、クリスマスカードだった。
 紙片が二枚、机の上に滑り落ちた。聖歌隊によるクリスマスコンサートのチケットだった。
『親愛なる君
俺の仲間の孤児達の聖歌隊がコンサートをやる。クリスマスだ、一緒に行こうか。君に聖夜を共に過ごす相手がいるとは思えないが、チケットは二枚入れておい た。もしもいるなら、その彼女、ないし彼に渡してやってはどうだろう。
多幸を祈って、ジーザス』
 ジーザスの親は物好きだったようで、クリスマス生まれの息子に救世主と同じ名前をつけた。
 ジーザスはいつも男に多くを語らなかったが、その名前のお陰で苦労してきたことは容易に想像できた。彼には常に怯えと苦悩が付きまとっていて、何よりも 人の口を恐れた。一緒に仕事をするようになってからも、男はジーザスの受難を目の当たりにしてきた。ジーザス=クライストがそうであったように、ジーザス もまた元来聖人ではないはずなのに、周囲の人間は彼を聖人扱いした。彼と男がいた”ファミリー”は血生臭い行いをすることで有名で、ほとんどの人間はクリ スチャンですらなかった。だが彼らはジーザスを神と関連付けたがった。
「ジーザスは敵でも助ける、神みたいな奴だ」
 かと思えば一方で、ジーザスはいわれのない中傷を受けもした。
「あいつはただ、ジーザス=クライストに傾倒しているだけの偽善者なだけさ」
 男は切られることのなかったチケットを封筒に入れた。
 ジーザスが29歳だったのはいつのことだっただろう。男はふと考えた。
 男の記憶の中に、ジーザスの重ねてきた年は存在しない。落ち着いた雰囲気のせいで年齢は分からなかった。かと言ってわざわざ尋ねるほどにまで、男は失礼 ではなかった。
 男は次の封筒からカードを出した。菫色をしたパンジーの絵が描かれているカードは最もオーソドックスな柄の一つで、何のために出されたかを特定するのは 難しかった。
 甘いタバコの香りが漂った。目を閉じた男の鼻腔にもそれは侵入した。
 これはタバコの香りだけじゃない。男は感じた。ジーザスは、確か香水をつけていた。
 男の頭の中に真っ先に思い浮かんだのは、ホテルのソファに座っているジーザスの姿だった。取引の最中のはずだったが、その時に取引されていたものを彼は 思い出すことができなかった。
 男の記憶の中、ジーザスは低くてよく通る声で、取引相手と談笑していた。取引相手について男が覚えていることといえば、小型犬を連れていたことだけだっ た。ジーザスは時折声を立てて笑いながら、彼の着ている仕立てのよいスーツの裾にその犬をまとわりつかせていた。その犬はジーザスに懐いていたように見え た。彼がタバコを吸っていても足元を離れなかった。
 男は新たな事実を思い出して小さく笑った。ジーザスの指はタバコで汚れていた。
『ジーン
まだあそこにいるのか。だとしたら君はできるだけ早く抜けるべきだ。今に足を洗えなくなる。俺を頼ってもいい。妻子をもつ身になったけれど、君を助けるこ とぐらいならできる。早く連絡をくれ。連絡がないのは心配だ。
J』
 カードには男の名前が書かれていたが、ジーザスの名前は頭文字になっていた。
 男は心の中で呟いた。悪いな、ジーザス。何年もたってから連絡するんじゃ遅すぎるな。
 その次のカードも、男が”ファミリー”から早く抜けるようにと催促する内容のものだった。似たような内容が、その後三通に渡って続いた。いずれも封筒に 差出人の名前はなく、本文の終わりに頭文字が記されているだけだった。
 そして、その中の最後のカードは束の一番上―今までの分の最後のカードだった。百合の花のカードには、たった一行、こう書いてあった。
『連絡をしてくれ、ジーン。一刻も早く!心配だ。 J』
 男は立ち上がり、殺風景な部屋の中を一回りした。換気扇は壊れ、下ろされたブラインドは所々折れ曲がり、日差しが入り込んでくる―男は独りでこの部屋に 何年も住んできた。彼の所属している”ファミリー”の仲間ですら入れたことはなかった。
 一回りしたところで、男はカードを元通りに束ねて引き出しにしまった。そして、その日に届いたばかりの白い封筒を机の上に置いた。彼はポケットから、人 に切りつけることの方が多い、鋭利な刃のナイフ取り出した。
 切れ味が悪くなっちまう。男はそう思いながらも封を切った。
 中に入っていたのはチャリティー・バザーで売られていそうな、子供が描いたとしか思えない柄のカードだった。ジーザスの吸っていたタバコの香りがした。 香水の香りはしなかった。
 男はカードを取り出したとき、指先に違和感を覚えた。彼はカードを机に戻すと指先を擦り合わせた。ざらざらとした感触があった。
 真実に気がついた男は、カードの匂いをかいだ。彼の指先と同じ硝煙の匂いがした。
『ジーン
俺は上手くやってる。君はどうなってしまったのか、ずっと心配していた。俺がしばらく返事を出さなかったのは、君から返事が全くなかったからだ。何とか連 絡をくれないだろうか。君のことだ、心配なんだ。
J』
 ジーザスの字は、男が驚きを覚えたほどにまで震えて歪んでいた。だが、男はそれがジーザスの字だと分かった。
 男はボールペンのキャップを歯で咥えて外すと、便箋を一枚取った。
『ジーザス、おれはお前と別れたときのまんまだ。もっとも、老け込んじゃいるが。おれはあれから何も変わっちゃいねえ。もうとっくに、ファミリーから抜け られなくなってる。お前に助けられるわけねえよ』
 自分が書いた、余白の多い手紙を男は眺めた。そして、その便箋をくしゃくしゃに丸めて後ろに放った。ジーザスのカードを見た。彼が自分と同じ運命を辿っ ていることは分かっていた。逃げ出そうとしたところで男も、ジーザスも、どのみち叶わなかったのだ。
 男は二枚目の便箋に書き始めた。罪悪感はなかったが、それでも嘘を書くのには時間がかかった。
『ジーザス、親愛なるジーザス
おれだって上手く行ってるさ。銃の世界から足を洗った。お前みたいに結婚しようと思ったけど、駄目だった。今はのんびりと独りで暮らしてるぜ。そうそう、 女房の名前、もしかしてマリアじゃねえだろうな?…』
 電話が三度鳴った。男は手を止めた―仕事の時間だ。もっと嘘を書いていたい気分だったが、遅れることは許されなかった。
「あばよ、ジーザス」男は呟き、開封に使ったナイフを、再び人を切るために折りたたみ、ポケットにしまった。


2006.06.24 輝扇碧