果たして、サハラを行くうちに、発汗が気にならなくなってきた。だが、駱駝の方はと言えば目に見えて具合が悪くなったので、前方を行く彼らに助けを請わ なければならなくなった。
「代物を掴まされたな」青いターバンを巻いた彼らの殿(しんがり)が笑いながら言った。「病気持ちだろう」
 それでも彼らはこちらに戻って来てくれた。この遊牧民達は、全員がターバンを巻いたうえでイスラームの女性達がそうするように、目元以外を布で覆い隠し ていた。体に纏っているマントのようなガンドゥラは空のように濃い青色で、彼らを“青の遊牧民”たらしめるのには充分だった。全部で三人だったが、三人と もライフル銃を持っていた。一人は首領のようだったが、ガンドゥラは一際青く、ターバンは洗いたてと言うよりは真新しいほど白く、そのせいで他の二人より も若い印象を受けた。布とターバンの僅かな隙間から見える肌は黒土よりも暗く、翡翠色の目が刺すような鋭さで見ている。その眼の色もあり、勝手にヤシュム と名をつけていた。その言葉は、アラビア語で翡翠を意味する。
「診てやれ」ヤシュムの声は若々しく、少年のように高かった。首領の命令を受け、殿ではない方の男が駱駝から降り、こちらに歩いて来た。駱駝の腹を撫で、 次いで自分の腹の上で球を描くように手を動かした。
「腹に子供がいるんだ」青いターバンを巻いた殿が言った。「命拾いしたな、あんたは。俺達に会わなけりゃ、きっと今頃干からびていただろうよ。・・・それ にしても、たった一人で、ガイドもなしにサハラを行くなんて」
 金を出し惜しんだらガイドに途中で逃げられたのだと言うと大笑いされた。笑い話よりも、訛ったアラビア語のほうが滑稽に聞こえるようだった。だが、ヤ シュムは笑わずに彼らが荷物だけを積んでいた駱駝から荷物を下ろさせると、それに乗せてくれた。「この荷物をお前の駱駝に積もう。なに、心配するな。こち らの方が軽いに決まってる」それからヤシュムは部下達に命じ、手際よく積荷を移動させた。積荷は本当に軽いようだった。聞けば、全て羽毛だと言う。
 今度は二列になって駱駝を進めた。青いターバンの男と、二人でヤシュムを挟んだ。もう一人の男が積荷を乗せた駱駝を連れて後ろに下がった。この男は舌を 切られており、全く言葉を発しなかったが、それでも下位カーストとは思えない威厳を備えていた。
「いい髭だ」青いターバンの男が言った。「だから旅行客だとは思わなかった」
 金髪なのにかと尋ねると、ごく稀にだが、彼らの中にも金髪を持つものが生まれることがあるのだと教えられた。
「あいつの髭もなかなかのものだぞ」彼はもう一人を指差した。「成人の儀式のときに染めたばかりだ」振り向くと、確かに紫色に染め、金粉を塗した髭を布の 隙間からではあるが見せてくれた。それで彼らの首領の衣服だけが真新しい理由が分かった。ヤシュムは成人したばかりだったのだ。
 青いターバンの男は笑って言った。「俺達は宴を抜け出してきたのさ。首領が飽きたというんでね。もう二日になるが、まだ宴は続いているだろう」彼が横に やってきたので、その時初めて彼の駱駝の鞍から逆さにぶら下がっている二羽の極楽鳥の死骸を見つけた。色鮮やかな黄色と緑色の尾羽が、なだらかな円弧を描 いて揺れていた。
 不意に舌のない男が声を発した。振り向くと空を指していた。「シャーヒーンが戻ってきた!」ヤシュムが弾んだ声で言った。空を見ると、シャーヒーン、す なわち鷹が飛んでくるところだった。ヤシュムは鞍に足を踏ん張って立ち上がり、左腕を肩よりも高く上げて口笛を吹いたが、腕に止まった鷹の勢いに耐えられ ずに駱駝から落ちた。
「高く上げ過ぎだ、腕を」青いターバンの男が軽やかな身のこなしで駱駝から降り、彼の首領を抱き起こして駱駝に乗せた。「ああ、やっぱり、俺達の首領はま だ半人前だなあ!」
 鷹が青いターバンの男の方に飛び移ってしまったので、ヤシュムが残念そうな声を上げた。顔半分が砂塗れになっている。ガンドゥラが捲れ上がり、裾に金糸 で縫い取りがしてある黒いズボンを穿いた足が見えていた。それを見てはっとした。ヤシュムは裸足だったが、爪を赤く塗ったその足は白かった。予感は瞬く間 に現実のものとなった。入り込んでしまった砂を出すためにターバンを外して顔を露わにしたヤシュムの肌は白く、零れ落ちた髪は黒く、頬に髭はなかった。 ターバンから見えた肌が黒かったのは、そこだけ墨を塗っていたからだと分かった。女の子かと聞くと、翡翠色の目が刺すようにこちらを見た。彼らの社会は女 系社会なのだと言う。「だから女ではなく男が肌を隠す。私がこうしているのは、宴から抜け出すために、必要に駆られてやっただけだ」舌のない男にターバン を巻かせながらそう言ったヤシュムの顔は、女と言うよりは少女のようだった。
 それから数時間ほど進むうちに、ようやくオアシスが見えてきた。青いターバンの男が水筒の水を飲み干し、口笛を吹き、肩に止まった鷹に何やら嬉しげに話 しかけた。
「この駱駝は手放せ」ヤシュムが身重の駱駝を指して言った。「隊商に交渉して、お前が乗るのに充分な駱駝を手に入れよう。そしたら適当なガイドを雇え。金 は出し惜しむな、たっぷり払え。お前の命の値段とまでは言わないが」
 オアシスに着くと、サンダルを履いて駱駝から降りたヤシュムは、彼女が言ったことを全て実行した。新しく雇ったガイドはベルベル人と白人の混血で、逞し い体をした青年だった。これまでの経緯を話すと、生きていて何よりだと笑われた。そして、勇気のある旅行家だと感心もされた。
 ヤシュムと二人の部下は少し離れた所で立っていたが、ガイドが手を上げるとこちらにやって来た。いつの間にかヤシュムは目元の墨を洗い落としており、白 い肌が眩しかった。二人の男達と、互いに髭に触れ合って別れの挨拶をした。ヤシュムには髭がなかったので、代わりに手の甲で頬に触れるとくすぐったそうな 顔をされた。
「また会おう、ラフィーク」三人はそう言った。彼らの言葉で親友と呼んでくれたのが嬉しかった。そして彼らはサハラへと戻っていった。
 その翌日、ガイドを連れてオアシスを発った。新しい駱駝は鞍がいいのか、乗り心地も良かった。そして、ムアーウィヤと名乗った彼は、素晴らしいガイド だった。


..2007.09.30. 輝扇碧
サハラの青い民