雨が降っているのにも拘らず、男はその場を動かなかった。彼の全身を濡らした水滴が鼻や顎、そして両手の指先から滴り、足元の水溜りに広がるいくつもの 波紋の中に紛れた。水は薄まった赤色をしていたのだが、濃いアスファルトの色のせいで、傍目には殆ど分からなかった。
 彼は、ただ待っていた。
 彼の立っている場所から一メートルも離れていないであろう地面には二つの死体が、ほぼ息絶えた瞬間と同じ格好で、重なり合うようにして横たわっていた。 両方ともスーツを着た男だった。
 二つの死体のうち、下になっているほうはまだ若く、白いスニーカーを履いていた。彼のスニーカーと手は特に血の汚れが酷かった。体を貫いた三発の銃弾が 残した傷は、その上に倒れ込んだもう一人の男のせいで見えなかった。幼さが消えたばかりのような顔だったが、その目と口は虚ろに開き、苦痛の痕がはっきり と残っていた。口から流れていた一筋の血は、雨に洗い流されつつあった。
 もう一方、つまり上になっている方は首筋を打ち抜かれ、うつ伏せに倒れていた。銃創からは量こそ減ってきてはいたが、未だに血が流れ出し続けていた。雨 水がその色を薄めていた。
 男は待ち続けていた。待っているのは雨が止むことでも、誰かがこの場に来ることでもなかった。彼はずっとある一点を見つめていた。そこは二つの死体のす ぐ傍の地面で、一つのアタッシュケースが置かれていた。ほんの少し前までは死体の若い方が持っていたのだが、本来は男の所持品だった。彼の着ているスーツ のような暗い色をしていて、中には彼が届けなければならない札束が入っている。二つの死体は、これを盗んで逃げようとしたギャング達だったのだ。結局失敗 し、男の銃によって死に、道の真ん中で倒れている。
 アタッシュケースには大量の血が付いており、傍目から見てもそれが分かった。だから男は雨の中、彼の持ち物に付いた血が洗い流されるのを待ち続けてい た。
 雨は降り続き、複数の水溜りを統合し、死体の熱を奪っていった。アタッシュケースを濡らした水からは、少しずつではあるものの、血の色が薄くなりつつ あった。
 男はその場を動かず、もう少しだけ待った。雨は彼の体温までをも、徐々に奪っていた。
 やがて、アタッシュケースがただ濡れているようにしか見えなくなった頃、彼は歩み寄ってそれを拾い、自らの手で提げた。それから青褪めた二つの死体を見 た。下にいる方の虚ろな目と偶然視線が合ったが、目を閉じてやることもしなかった。
 男は濡れてシャツの襟の中に入り込んだ髪を指で引っ張り出した。そして、水溜りを避けながら歩き去った。


..2007.04.08. 輝扇碧
What he's waiting for