13. Freedom


 キットにとって、スーツを着ないで町を歩くのは久し振りのことだった。お陰で歩き方を忘れてしまっていた。スーツを着ていれば、彼を見た人は彼がギャン グなのだと察してくれる。
 だが今は、人々は彼のことをただの一般人としか見ていないようだった。それが苦痛だった。背が高く、必要以上に人目を引いてしまう。さらに彼を凝視し続 けるうちに、その瞳の異常を見て取る人間だっているだろう。
 視線に耐え切れなくなったキットは逃げるようにして路地裏に入ったが、そこでも人の気配を感じて身を硬くした。
「お若いの」聞き覚えのある男の声だった。「息して歩きな」
「じいさん」キットは肩から力を抜いた。「あの時の・・・」
「ラリーって呼んどくれ」
「ラリー」キットは繰り返した。「何が何だか分からないんだ」
「ほう?」ラリーがハンチングの下で笑った。「言ってみろ」
「視線が気になって・・・ああ、その前に、ボスに追い出されちまった」
「視線は気にしなけりゃいい。ボスに追い出されたのは、そりゃあ良かった」
「できるもんか。十人いれば九人が自分のことを見る」キットは声を大きくして言った。「じいさんは自分ほど見られたことがないから、分かりっこない」
「なら、しょうがねえな」ラリーは鼻の頭を掻いた。「俺は情報屋なんだ。あんまし助言はう上手かない」
「・・・じいさん」キットは息を吐いた。「自分の目、どう思う」
「周りの奴らがお前さんを見るのはな」ラリーは歯を見せて笑いながら、キットの肩を指の背で小突いた。「そいつらから見て羨ましいもんを、お前さんが持っ てるからさ」
「まさか。おやじは自分の見てくれのことをよく言ってくれたことなんかなかった」
「・・・キット、お前さん」ラリーがハンチングを深く被りなおした。「おやじに支配されとる」
「自分は物心付いたときから、あの人のものだ」キットは揺るがない口調で言ったが、ラリーの言葉には答えられなかった。
「でも、今はお役御免だ。違うか?ん?」ラリーがまた笑って立ち上がった。「しばらくゆっくり考えてみろ、な?」
 キットは半ば呆然としながらも、表通りに出た。
「肩をいからせて歩くな!」ラリーの声が追いかけてきた。「目が嫌ならサングラスをかけろ!でもお前さん、自分で思ってるは程醜男じゃないぞ」
 キットはくすぐったげな笑みを浮かべた。「じいさん、どうもありがとう」
 肩の力を抜いて通りを歩くと、キットは驚く位に人の視線が気にならなくなった。途中でサングラスを買ったが、結局上着のポケットにしまい込んだ。
 ゆっくりと深呼吸しながら、彼はまだ氷嚢を返しに行っていないことを思い出した。前行ったときと大して変わらない時間帯だから、『ラ・エスペランサ』は 今日も開いているに違いない。

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