36. Regrets


 「ラリー、どうしてもあんたに会いたくなって」
 ラリーはハンチングを僅かに持ち上げた。彼が以前からその身を案じていた中年の女だった。「姐さんか・・・一体どうしたんだ」
 ガッデスは悲痛な笑みを浮かべていた。「あたし、もう積荷が重すぎるのよ。あんたは下ろせって言ったね。でも、無理だった」
「アシーナ、まあ座れ」
「ごめんね、ラリー。時間が少ないの」ガッデスは立ったまま首を横に振り、座ろうとはしなかった。
 ラリーは溜息をついた。予期してはいたが、実際になってみるとやはり辛いものがあった。「自首するのか・・・自首するんだな」
「あたしが逃げたのはね」肯定を意味する短い沈黙の後、ガッデスは小さな声で言った。「捕まるのが怖いって言うのもあった。でも、それよりも怖かったのは ギャングの仕返しよ。だから匿ってもらってたの。・・・おかげでマスターに迷惑かけたわ」
「・・・お前さん、よく我慢したよ」
「ラリー、あんた・・・死んだ夫に少し似てる」ガッデスが鼻を啜った。「優しいのね。涙出てきちゃった」
「お別れかな」
「ええ、そうね。あたしも昔警官だったから、自分がどうなるのか大体想像はつくわ」
「いい弁護士を選べよ」ラリーはハンチングを脱いだ。「俺はひどい弁護士を選んだ大変さを、身をもって知ってるんだ」
「初耳ね。アドバイスをありがと、ラリー」ガッデスは片手を差し出した。「・・・そろそろ行くわ」
「お前さんと会えてよかったよ」ラリーはその手を強く上下に振った。ガッデスの笑みを一瞬だけ見た気がした。
 彼女の姿が見えなくなるまで、ラリーは脱いだハンチングをトレンチコートの胸に押し当てていた。ややあってから、それを被ろうとしたところにキットが やって来た。走ってきたのか、息を切らしていた。
「じいさん!」彼はラリーを見つけると、安堵の表情を浮かべた。
「お若いの、お前さんは走ると危ないぞ」ラリーは笑顔を作り、先程も言った言葉を口にした。「一体どうしたんだ」
「探してる・・・アシーナを」キットが目を瞬かせながら言った。「自首するって言って出て行った。自分は頼まれて追いかけてる」
「マスターも未練がましいな」ラリーは苦笑した。「まあ、俺も人の事言える立場じゃないがな」
「自分は追いかけていいのかどうか分からない」キットは左目に落ちてきた髪を払いのけた。「もう他人だと言われたから」
「俺にも分からんさ」ラリーはハンチングの上から頭を掻いた。「だが、一応言っとくぞ。このまま真っ直ぐだ」
 キットの姿を見送った後、ラリーは溜息を吐いた。先程別れを済ませたばかりのガッデスの身が案じられた。彼は自分の未練がましさを自嘲したが、何気なく 顔を上げるとそれを忘れた―血走った目をしたコニー・バーグマンが歩いていく所だった。上着の中に手を入れている。拳銃を持っているのだろう。ラリーは歯 軋りした。こんな時、自分にできることは全くない。動かない右腕をこれほど恨めしく思ったことはなかった。

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