05. La Esperanza
ドアが控えめにノックされたので、カウンターの外に出ていた『ラ・エスペランサ』のマスター、パコはグラスを拭く手を止めた。「開いてるよ、入りな」
開けたドアを後ろ手に閉めて入って来た、ギャングかごろつきかと言った風情の男は大柄でまだ若く、パコと大して変わらなさそうな年頃に見えた。左の頬が
腫れ上がり、口の端から血を流している。
パコは何も言わずにカウンターの中に入り、氷嚢を手にして戻った。「ほら」ポケットから取り出した絆創膏と一緒に男に渡した。「タオルも要るよな」
男は頬に当てていた手を離し、小さな声で礼を言った。それから氷嚢を頬に当てると、その口から安堵の息が漏れた。
パコは男が落ち着くまでの間、タバコを吸って待つことにした。タバコに火を点けて煙を胸まで吸い込み、吐き出してからふと思い出して言った。「タバコは
駄目?」
「いや、平気だ」男が言った。「自分は吸わないけれど」
彼の顔を眺めているうちに、パコはそのなかにある非凡さに気がついた。黒のスーツ、整髪料で立ち上げたブルーネットの髪、身なりにこれと言って珍しいも
のはない。だが、顔が異彩を放っていた。
「・・・どうもありがとう」口元に絆創膏を貼り終えた男が言った。
「ごみは捨てるよ」パコは笑顔で手を出した。
男が顔を上げ、そこでパコは初めて異彩を放っているものを見つけ出した。左右の瞳の色の濃さが違うのだ。左は深海の色、右は氷の色。美しい目だった。
「それ、天然?」彼は男の目を指差して尋ねた。
「いや、感染症のせいだって聞いた」
「色の淡い方かい?見えないの?」
「いや、両目とも同じくらい見える」
「じゃあ、感染症な訳ないだろ。きっと言った奴が妬んでるのさ」
「これが嫌なんだ、自分は」男はタオルをカウンターの上に置いた。「もう行かないと」
「氷嚢は持って行きな。次に返してくれればいいよ」
男は短く頷いて出て行った。入れ違いに入ってきたのは一人の警官で、パコがここでバーを始めたときからの常連客だった。
「フィッツィ!」彼は喜びの声を上げた。「久し振り・・・三日ぶり!」
「ははは、そうだったな」フィッツィと呼ばれた男が笑って席に座った。彼は不法移民のヒスパニックであるパコよりもはるかに恵まれた環境で育った、いわゆ
るエリートの警官でおまけにハンサムな黒人だった。それにも関わらず謙虚でスマートな性格の持ち主だった。初めて『ラ・エスペランサ』のドアを叩いたその
次の日には、もうパコの友人になっていた。
「警官が昼間っから、制服姿でここに?」
「今は昼休みだ」フィッツィはタバコに火を点けた。「今夜も多分、飲みにはこれない。お袋が寝込んでる」
「そいつは気の毒に」パコはグラスに水を入れてカウンターに置いた。
フィッツィはその水を一口飲んでから、入り口のドアに目をやった。「さっきのは?・・・ここら辺も物騒になったな」
「ただの喧嘩だよ。ここには怪我した奴がよく来るんだ。ギャングがうろついてるんだよ、物騒なのはしょうがない。あんたも気をつけるんだな、今は制服なん
だから」
「ああ、分かってるよ」フィッツィはそう言ってから水を飲み干して立ち上がった。「さてと、もう行くか。パコの顔だけ覗きにきたんだ」
「じゃあ、さっさと行きな。仕事頑張れよ」パコは笑顔で見送った。
客のいなくなった店内は再び静かになったが、パコはこの静かな時間も好きだった。
ラ・エスペランサ―希望を見出しに客達がやってくる夜までには、まだ時間がある。
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