06. Nobleman


 その日の仕事を終えて制服を脱いだとき、フィッツィは疲れ切っていた。ロッカールームに誰もいなかったならば、即座に床に寝転がっていただろう。だが、 そこには彼の同僚がいた。
「ちくしょう、あいつは・・・」
 フィッツィのぼやきを耳聡く聞いた同僚の一人が言った。「なあ、気にするなよ。フィッツィ、フィッツィジェラルド、お前は素晴らしくできる奴なんだか ら」
「ありがとう、ラザルス」
「奴と揉めるなよ、フィッツィ。アンディ・ジョーンズはギャングだ」
「ああ」フィッツィは生返事をして、ロッカールームを後にした。
 アンディ・ジョーンズはギャングであるばかりか、悪質な人種差別主義者でもある。これがフィッツィの素直な感想だった。

 その日彼が出くわしたとき、アンディはちょうど浮浪者の身なりをした少女に話しかけていたところだった。少女の表情からも彼女が困っていることは明らか だった。
「お嬢ちゃんが困ってますよ」
 彼の声を聞いたアンディは驚いたようだったが、相手が黒人だと知ると途端にそれは消えた。「お前の言うことなんざ聞いてられるかよ」
「私は警官です」
「それがどうしたって言うんだ?おれはこの子とお話してただけだぜ」
 フィッツィは返す言葉がなかった。同僚の言葉が思い出された―奴と揉めるなよ、フィッツィ。
「・・・よく見りゃ、お前」アンディの目が細められた。「評判は聞いてるぜ。『黒い』貴公子だっけ?」
 相手にするな、フィッツィ。彼は心の中で彼自身に言い聞かせた。お前は今まで耐えてきたじゃないか。署の中でのニックネームをどうして奴が知っているか は知らんが、お前を挑発しているだけだ。
「エリートなんだろ?・・・『黒い』、貴公子とやらは」
「黒いのが悪いのか!」フィッツィは震える声で言った。
「ああ、悪いね」アンディが下卑た笑みを浮かべた。「おれに言わせりゃ、黒人が警官やってるってだけでもう駄目だな。・・・そうだ、バッジをよこせよ。そ したらおれがお前よりもまともに使ってやる」
「・・・お嬢ちゃん。途中まで送ろう」フィッツィは辛うじて相手を無視しながら言った。
「逃げるんだな」アンディの声が追いかけてきた。「いいとも。へへへ、意気地なしめ」
*
「ちくしょう!」フィッツィは車のハンドルを叩いた。帰宅する車の中でこの 出来事を思い出したのは間違いだったとしか言いようがない。お陰で気分が沈んできた―少なくとも、母親の前では明るく振舞わなければならないと言うのに。
 彼の母親は、彼女の息子が警官になってからというもの心労からかよく体調を崩す。女で一人でフィッツィを叩き上げてきた、強い女性だったのだが。
 パコに会ってきたことがせめてもの慰みだった。まだ三十歳を少し過ぎたばかりなのに、バー『ラ・エスペランサ』のマスターをやっている。幼い頃から酒場 で働き、その仕事ではもうベテランなのだと言っていた。お喋り好きだが、それでいて場の空気が読める男だった。お陰で彼は、神経質がゆえに友人に恵まれな いフィッツィの親友になった。
 フィッツィはポケットのタバコを探り出した。火を点けようとしたが、家が近づいてきたので止めた。
 これから母親の相手をしなければならないと言うのに、フィッツィジェラルド・ロウは精神的に疲れ切っていた。

 back  top  next