El criado y la mujer



Z.

 思い出してみれば、アルバロは、ビニール 袋入りの麻薬を飲み込む事を、一度だけ、駆け出しのフラメンコ・ダンサーだった頃、家賃を払うためにやったことがあった。そのため、今回が初めてではな かったものの、実に十数年振りだった。
「・・・・・・」アルバロは、喉を鳴らしながらも、何とかビニール袋を飲み込んだ。空になったミネラルウォーターのボトルを便器の中に投げ捨て、上を向 き、少しでもアンモニア臭を吸い込まないようにしながら、息を整える。
 アルバロが思っていたよりも、一連の作業を終えるのには時間が要った。昔は若く、無謀だった。今は、昔よりはずっと用心深く事を運んだが、その結果、倍 以上の時間と水が要った。
「さて」
 個室から出て、生温い水道水で顔を洗うと、アルバロは手の甲で顔を拭った。人目を避けるためとは言え、刺激臭漂う個室は、実に居心地の悪い場所だった。 実際、外に出てみると、トイレは無人だったので、涙ぐましい努力は無駄だったことになる。
 顔を上げて、錆付いてくすんだ鏡を見やると、マヌエラの姿が映っていた。清涼剤のような、パフュームの香りがした。アルバロに向かって、微笑んでいる。
「ああ、セニョリータ」アルバロは呻いた。「飲み込んだよ。だけど、あまり持ちそうにない。瞬く間に、おれの体から出て行きそうだ」
「こんにちは、アル。顔が真っ青よ」マヌエラは声を立てて笑い、トイレだから仕方ないわ、と付け加えた。
「全くだ。ねえ、レーラ・・・きみには、もっと若い運び屋はいないの?」アルバロは喘ぎながら言った。飲み込んだ筈のビニール袋が、喉まで上がってきたか のように、息が苦しい。今すぐに吐き出したかったが、マヌエラの前で醜態を晒すのは、何としてでも避けたかった。
 幸いにも、しばらく深呼吸をしているうちに、アルバロは気分が良くなってくるのを感じた。
「私ね」黙って見守っていたマヌエラが、微笑みを消した。
「何かな、レーラ」
「そういった知り合いを、作る機会がないのよ」
「へえ、そうかい。カルデロンや、警官のラモン・アルベルダとも知り合いなのに?セニョリータ、おれは奴に追いかけられたんだよ」
 アルバロの皮肉を、マヌエラは気付かぬ顔で受け流した。「アル、せいぜいあなたぐらいよ」
 アルバロは、顔を歪めて苦笑した。「そうかい、おれはね・・・正直言って、この年だ。かなり辛いよ」
「ふふ・・・」マヌエラが目を細めて笑い、赤く塗られた指先を頬に当てた。「私、よく分からないわ」
「よく分からない!」アルバロは声を荒げた。
 返事の変わりに、鏡に映ったマヌエラが、外に歩き去るのが見えた。
「おお、マラ・ヘンテ(*13)!だろうね、そうだろうとも。きみに何が分かるんだい?」
 マヌエラの気配が消えてから、アルバロは、もう一度呟いた。「マラ・ヘンテ」
 自分自身のマヌエラに対する思いが、音を立てて壊れていくようだった。それだけではない。その思いを、マヌエラが笑いながら踏みにじったような気すらし た。
「神様」アルバロは、呻くように言った。「神様、おれはどこから間違ったの」
 再び息苦しさを覚えた。一度麻薬を飲み込んでしまえば、そう長くは持つまい。
 アルバロは、シャツの襟を正すと、トイレから出た―仕事を早く済ませてしまわなければ。