02.手錠


 自分の寝床で目を覚ました男は、二度寝した後決まって訪れる気だるさを感じていた。頭の芯が痺れ、鈍い痛みを感じるほどのこの感覚は、ティーンエイ ジャーの頃から馴染みのものだ―尤も、そのときはマリファナによってもたらされてはいたが。
 安物のマットレスから体を起こし、ブラインドを軋ませながら上げると、彼は階下へ下りた。様子は昨晩と大して変わっていなかった。唯一変わった点と言え ば、エマヌエルが壁際に移動していたことぐらいだろう。彼はまだ眠っていた。
 男はエマヌエルの大きな体を跨ぐようにしてガスコンロの前に立ち、二人分の朝食を作った。いつものように、卵をフライ返しでフライパンに割りいれようと したが、失敗して殻が入った。
 卵四個分の殻を床に置いたゴミ箱に入れた男は、丸められたメモが落ちているのに気がついた。それを拾い上げようと身を屈めたとき、不意にジーンズの後ろ をつかまれたので、彼は思わず情けない声を上げた。
「何だマニー、起きてたのか」彼はメモを持ったまま、ゆっくりと手を上げた。
「そいつを捨てる前に」
 エマヌエルが一層手に力を込めたので、男は呻き声を上げた。ジーンズの中に入り込んだ、エマヌエルの四本の指の関節が、背骨に当たったままの状態で動か されたのだ。「痛い、離してくれ」
「書いていることを読み上げろ」エマヌエルは右手を動かしながら言った―一晩中拳銃を握っていたので、強張ってしまっているのだ。
「『手錠』。それだけだ」男は殺し屋の太い関節を背骨に感じながら言った。「もういいだろ?離してくれ。俺は今、料理中だ」
「卵は二個分だぞ」男のジーンズから手を離したエマヌエルは、次の瞬間にはもう拳銃を椅子の上に置こうとしていた。

 遅い朝食を終えた後、昨日とは別の黒スーツに身を包んだエマヌエルが言った。「手錠はどうだ」
 男は一瞬呆気に取られたが、すぐに質問の意味を察した。「ドアの鍵よりも易く外せるぜ。俺はドアのかぎでも慣れっこだからさ」
「そいつはいい」
「・・・一体何だよ、マニー」男はエマヌエルのネクタイに立っているエッフェル塔を見ながら言った。
 エマヌエルは袖口のボタンを閉めて立ち上がった。「今日は助けてもらおうか」

 男は熱いシャワーを浴びて、気だるさを追い払おうとしたが、大して効果はなかった。代わりに、また左足の皮膚が疼きだした。
 彼はしばらくの間、冷たいタイルの上に左足を押し当てていた。皮膚を調べたが、タトゥーの図柄―赤と黒で描かれた三匹の悪魔が絡み合っている―のせい で、異変を探し出すことはできなかった。
 シャワーを浴び終わっても、左足の疼きは完全には消えなかった。かといって、殺し屋を裸で迎えるわけにも行かないので、どうにかジーンズに足を通した。 それからマットレスの傍に行き、金属製の灰皿を探した。それはすぐに見つかった。中には大量のピアスに混じって、数本の針金が入っていた。彼はその中から 一番長い一本を取ると、灰皿をマットレスの横の床に置き、潰れかけた煙草の箱を拾い上げて、ジーンズのポケットにねじ込んだ。
 外の騒音に混じってはいたものの、男は階下での物音を聞き取った。時計を見たが、正午を少し回ったところだった―エマヌエルが仕事に出かけてから、まだ 数時間と経っていない。
 針金を持って階下へ降りると、果たして、玄関に立つ殺し屋の姿があった。SMプレイの女王役のような格好をした女を抱え、全身から血の臭いを発散させて いた。
「早かったな、マニー。で、手錠は?」男は裸の胸の前で腕を組んだ。
 エマヌエルは、黙って女を抱えている方の手を動かした。金属のじゃらつく音がした。
「分かった・・・じゃあ女を下ろしてくれ。でないと外せないぜ」
「まだ血が流れている。死んではいるが」エマヌエルは女を反対の腕で抱え直した。背中に手を当て、自分の胸に強く押し付けるようにしている。彼の黒いシャ ツは、雨の中にいるかのように濡れていた。
「オーケー、じゃあ動かないでくれ」男は女の左手を、用心深く持ち上げたが、それはまだ生暖かかった。血に濡れて光る手錠の鎖を引くと、殺し屋の右手につ ながっていた。
「始末する場所を誤った」エマヌエルが天井を見て言った。
 男は針金を使って、容易に手錠をエマヌエルの右手から外すと、天井を向いた高い鼻に向かって声をかけた。「女の方も外すのか?」
「ああ。手錠を残してはおけないからな」
 やがて反対側の手錠も外れると、エマヌエルは死んだ女を再び抱え直した。「雇い主のところに行ってくる。それからシャワーだ」
 男は眉をしかめて言った。「それじゃあ、戻ってきたら、着てるもん全部脱いでから入ってくれよ。洗濯するんだろ?」
「いや。捨てる」
 黒スーツに身を包んだ殺し屋は、血に濡れて光った手錠を残したまま、足でドアを開けて出て行った。

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