05.鎖


 窓ガラスが新しくなっている。帰ってきた男は、まずそのことに気がついた。「マニー、あんたが直してくれたのか?」
 考えてみれば、ガラスが割れていたのをすっかり忘れていた。つまり、一週間近くもガラスの破片を床に散らしたまま過ごしていたことになる。裸足でうろつ いていた彼が怪我をしなかったのは、奇跡としか言いようがない。
 エマヌエルの返事はなかったが、階上から水音が聞こえてきた。男はTシャツを脱ぐと、冷蔵庫からダイエット・ペプシのペットボトルを取り出し、飲みなが ら階上に上がった。マットレスに腰かけ、ピアスを外していると、枕の下の硬い感触に気がついた。枕をのけると、そこに拳銃があったので、彼は目を剥いた。 殺し屋の使っているものだ。
「ヘイヘイヘイ、マニー!」彼は拳銃をつかむと、ばするーむのドアを乱暴に開けて―鍵は壊れて使い物にならない―怒鳴った。「あんた、こいつをどこに置い てやがる!」
「そいつを濡らすな」エマヌエルはシャワーを出しっ放しにしたままで言った。「今出るから、少し待て」
「殺し屋のやることじゃないぜ!」
 エマヌエルは全身から水を滴らせながら、洗面所の電気シェーバーを取った。男のほうを向くと、「いいのか?」と言って、目をわずかに大きく開いた。「お 前が持っている方が安全だ。・・・銃を持った殺し屋に、うろつかれたくないだろう」
 男は肩をすくめた。エマヌエルのこの習慣を、未だに彼は理解できずにいた。仕事道具を、なぜ他人のところに忍ばせておく?エマヌエルの言い分は尤もだっ たが、男に言わせれば迷惑な話だった。そんなものを押し付けられても困るだけだ。
「大事なもんなんだろ。ねえと仕事に関わるし。そんなに不安だったら、鎖でどこかにくくりつけとけばいい」彼はエマヌエルの胸元を親指で指し示した。プラ チナ・ブロンドの体毛の上に、細い鎖でぶら下げられたエッフェル塔のモチーフが乗っている。「こんな風にな」
 エマヌエルは男を相手にしていないかのように、鏡を見ながら髭を剃っていた。しばらくすると、顔をわずかに歪めて、「俺の雇い主と同じ事を」と呟いた。
「何て?」
「お前は、俺の、雇い主と、同じ事を、考えている」彼は言葉を短く切るようにして言ったが、まだシェーバーのスイッチは切らなかった。「雇い主は、俺を自 分から見える範囲内に繋いでおきたがっている。不安なんだろう、裏切られるのが」
「あんたが裏切りをやってのけるなんざ思っちゃいないぜ、俺は」
「そうなのか?銃の代わりに、俺を鎖で繋いでも構わないんだぞ」エマヌエルは硬い表情で、シェーバーのスイッチを切り、元通りの場所に置いた。
「あんた、どうかしてるぜ」男は溜息をついた。「俺はそんな変態じみた真似はしないぜ。あんたが好きだろうがな。それより、さっさとシャワー使わせてく れ」
 バスローブを羽織ったエマヌエルは、ジーンズを脱いだ男の左足に彫られたタトゥーを見て、「どうかしてるのはお前だ」と言った。「そんな所に・・・一体 どうするんだ」
「さあな。俺も分かんねえよ」
「ウォルト・・・だったな」
 不意に名前を呼ばれ、男は思わず顔を上げた。彼の記憶が正しい限り、この殺し屋に名前を呼ばれたのはこれが初めてだった。「ヘイ、何か言いたいことでも あんのか?」
「小柄で色の白い子だ」
「何がだよ」
「俺が殺したお前の仲間だ」
「シャワーを浴びさせてくれよ!」男はバスルームのドアを閉めて、殺し屋を追いやった。
 シャワーを浴びながら、彼は数日前の夜を思い出していた。泥棒を捕まえて、と叫ぶ女の声。ガラスの割れる音。黒スーツ姿の殺し屋。そして、三発の銃声 ―。
 男はシャワーを彼が耐えられる限界まで熱くすると、冷たいタイルの上に座り込んだ。壁に数回頭をぶつけた後、彼は髪を掻き毟って泣いた。

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