06.汚れた壁


 長い間座り込んでいた後に、男がシャワーから上がると、エマヌエルの姿はなかった。「マニー?」彼は階下に向かって叫んだ。「マニー!」返事がなかっ た。
 不意に嫌な予感が胸を掠め、彼は濡れた体を拭いもせずに、マットレスの横に屈みこんだ。果たして、枕の下に拳銃はなかった。
 彼はしばらく呆然としていたが、思い出したようにジーンズを穿き、階下へと降りた。部屋の窓は開いており、微かに血の臭いがした。そして、窓際の壁にも たれかかるようにして座っていたのは、黒いスーツに身を包んだ殺し屋の姿だった。
「ヘイ、あんた・・・」男はエマヌエルの足の間に割り込むようにして膝を突き、シャツの襟首をつかんだ。「今度はどいつを殺ったんだよ、え?」
 エマヌエルは拳銃を床に落とし、開いた両手で顔を覆った。「あの子はまだ、学校に行っているような年だった」
「エムのことか?」
「五千ドルで殺した」エマヌエルの声が震えだした。「その次は七千ドル。スキンヘッドの黒人で、両腕にタトゥーを・・・」
「くそ野郎!」男が襟首を引っ張ったとき、殺し屋のシャツのボタンが弾けて飛んだ。「あんた・・・あんた、ギャングスタを殺ったのか!」
「銃を持っていた」エマヌエルは荒い息をしながら言った。「いい腕をしていたが・・・運がなかった」
 男は目の前の殺し屋を殴るべく拳を振り上げたが、敵わなかった―壁が汚れているのに気がついたのだ。「怪我、してんのか?」彼は両手で、エマヌエルの右 手を無理やりその顔から引き剥がした。「ヘイ・・・マニー」
 エマヌエルは答える代わりに顔を背けただけだった。プラチナ・ブロンドの睫毛が、目の下に陰鬱そうな影を落としていた。
「立てよ」男は立ち上がって言った。「ヘイ、立て!」彼はエマヌエルの左腕をつかんだが、抗議の声を上げられたので、慌てて離した。手を見ると、血がつい ていた。
「そこに銃がある」額に脂汗を浮かべたエマヌエルが涼しげな表情で言った。「殺したって構わない・・・憎いんだろう、俺が。気兼ねするな。利き手は無傷 だ」
 男は全てを悟った。途端に恐怖で膝が震えだし、やむなく床に座り込んだ。「マニー、次の仕事があるんだろ」
「そうだ」
「俺を殺るってわけだ。・・・違うか?そうだな?」
 エマヌエルが自嘲気味に薄く笑い、壁に頭をぶつけた。「・・・そうだ」
「俺にどうしろって言うんだ・・・。同居人だろ?あんた、本当に俺を殺るのか?」
「ウォルト」エマヌエルが腕を引き寄せたので、男はスーツの肩に頭を委ねる格好になった。
「死にたいか」
「嫌だね」男は半分泣きながら言った。「俺は嫌だよ」
「そうか。ならばお前にこいつを渡しておく」言うなりジーンズの中に拳銃がねじ込まれた。
 男は発作を起こしたように―昔ジャンキーだった頃、マリファナがないと知ったときのように―声を上げて泣き出した。この状況をどうしていいのか、考える ことすらできなかった。頭が混乱していた。
 横で殺し屋が煙草に火を点ける気配がした。深呼吸するような音の後、煙が天井へと上っていった。彼は男の肩に右手を乗せた。男が落ち着きを取り戻すま で、彼はそのままの姿勢で煙草を吸い続けた。

 数十分後、男はここ最近でも類を見ないぐらいの速さで頭を回転させていた。今の自分の状態がマリファナによってもたらされているものではないのが驚き だった。ちょうどたった今、エマヌエルの左腕の傷をダイエットペプシで洗ったばかりだった。
 殺し屋は顔の汗を手の甲で拭いながら言った。「こんな添加物まみれの炭酸飲料が、消毒液代わりになるわけがないだろう」
「包帯がないぜ、マニー」男は部屋の中を見回した。「代わりになりそうなものも」
「自分が怪我や病気のときは、一体どうしているんだ?」
「何も。ただ寝てるだけさ」
「包帯と消毒液を買ってこい。俺はお前のようにはいかない」
「薬局で?だったらかなり歩くな」
 エマヌエルは下を向いた後、自分のズボンのベルトを叩いて示してから男を見やって、「銃は巧く隠せ」と言った。「その間に、俺は体を洗いなおす必要があ る」

 薬局でエマヌエルに頼まれた品物とアスピリンを買い、スラムに戻ってくると、男の耳には聞きなれた騒音―パトカーのサイレンが聞こえてきた。彼はいつも のように無視して通り過ぎようとしたが、野次馬に紛れていたトビーに捕まった。瞳孔が開ききっていたのは、おそらくマリファナのせいに違いなかった。
「ウォルト!大変だ、ギャングスタが死んだ!」トビーは、男にいつもの叫ぶような口調でそう言ってから顔を背けた。「弾が奴の銃と同じ型だったんだ。警察 は自殺だって言ってるぜ!」
「何であいつが自殺するんだ?」男は顔を歪めて言った。
「さあな!でもクスリが切れた後、死にたくなることってねえか?それかもな」
「トビー、俺帰るぜ」男は頭を掻いて言った。「頭がガンガンする」
「追い討ちかけちまって悪いな」トビーが作り笑いをした。「ギャングスタの奴さ、ああ見えて色々気にしてたんだぜ・・・知らねえだろうがな、あそこの倉庫 の管 理者ともめてたんだ。俺らそいつから煙たがられてたんだぜ!」
「帰る」男はトビーの左腕を強く握ってから離した。
「よく休め!」トビーがピンクの髪を振り乱して叫んだ。「辛いのはよく分かるぜ!」

 騒音の中を通って、男は家に戻った。エマヌエルが先程とは反対の壁に背を預けて座り、目を閉じていた。バスローブの左腕は捲られ、生傷が見えていた。
「ヘイ」彼はエマヌエルの足の間に紙袋を置いた。「買ってきたぜ」
「有難う」エマヌエルが目を開けて言った。「犯人は捕まっていたか?」
「さあな」男は机の上に置かれた煙草の箱を取った。「・・・そうだ、手当ては自分でやってくれよ、マニー。俺は生き残る方法を探さなきゃなんねえんだよ」

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